■ 思い出の黒船祭(1) ■ |
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1955年(昭和30年) |
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家のまわりはどんな様子だったかというと、今とは比べものにならないほどのんびりしていた。覚えているのは夏の暑い昼下がり、村からやってきた荷馬車の馬が馬糞を振り散らしながら、舗装されていない道をゆっくりと通って行ったこと。どこかで浪曲のうなり声が聞こえていた。なぜそんなことを覚えているのか分からない。とにかく馬車に乗ってたおじさんが帽子を被っていたチビだった事、馬のお尻にハエがブンブンたかっていたことまで目に焼き付いている。浪曲は昼休みに父がラジオで聴いていたのだろう。その頃、寅蔵に凝っていたというから間違いない。 記憶にある最初の黒船祭といえば1955年だろうか。サマーズ総領事が来賓で、戦艦『キャルベート』が入港している。また、6町村合併で新下田町が誕生した記念すべき年だ。もう一つ、子供たちは嬉しい、下田小学校の講堂が完成した。 私はまだ4歳で、家にお煎餅を買いに来た不思議な人間たちをまじまじと見上げていた。 色が白くて、太い腕に金色の毛がモジャモジャしていて、鼻が三角形で、目がガラス玉みたいだった。母が『ハローって言ってみてごらん』と言った。私は、小さい声でハローと言った。すると2人のセーラーはニッコリと笑って私の顔をのぞきこんだ。そのなんともいえない優しい目元は今でも忘れられない。だがとっさに1人のヒゲもじゃのセーラーが私を抱き上げてそのヒゲを頬にこすりつけた。とても怖かった。その時、母が声をあげて笑ったので私は涙をのみこんだ。不安がさっと去った後、よせばいいものをそのセーラーはもう少しサービスして抱っこのまま私を強く揺すった。とうとう私は泣き出してしまった。 という訳で、4歳の記憶は、ワクワクドキドキと恐ろしさと水兵さんの優しさが三位一体となって残った。史料館にある百年前のペリー像、あの青筋たてた赤鬼のようなひどい顔を見るたびに複雑な思いにかられる。 |
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