■ 思い出の黒船祭(10) ■

■キャズ叔父さん

1983年(昭和58年)
 この年の黒船祭にはわが家に珍しいお客様が訪れた。私がアメリカに滞在した二年間お世話になった日系二世の叔父、キャズがロサンゼルスから来日したのだった。父はこの日を楽しみにしていた。父はこの日を楽しみにしていた。キャズが1951年に進駐軍として名古屋に駐屯して以来、二人にとっては32年ぶりの再会だった。キャズもまた、日米史を彩るこの祭を見る事をとても楽しみにしていた。
艦内のキャビンで(息子の裕樹とショーンさん)
 
 キャズは60歳で独身、美術大学を出てからずっとMGM映画社に勤務していた。いかにも南カリフォルニア出身らしくのんびりとした楽天家で、ジョークの名人、そして少し風変わりな人だった。手紙には、水兵と一度も話した事がないので彼らと会うのが楽しみだ、と書いてあった。

 そして予想通り、キャズのいる黒船祭は賑やかなもになった。いつもなら何人かバイトの女の子を頼むのだがこの年は必要なかった。ビールを運ぶだけでなく、水兵の横に座って立派にホスト役まで務めてくれたのだ。ノーペイで使ってしまったのが悔やまれるほどだ。話題が豊富で、若いセーラーたちには自分の進駐軍時代の話などして尊敬を集めていた。面白い男がいると評判になったのだろうか、おかげでお店は大繁盛、父や母方の叔父さんも席に座り、身振り手振りで水兵たちと会話したり写真を撮ったりした。

 すっかり陽気になったキャズは気前よくみんなにドリンクをおごっていた。なかでもショーンという、ハワイ出身の少尉と意気投合して、ショーンは、私と3歳の息子とキャズを船に招待してくれた。船ではキャビンを見せてくれたり、ピザやケーキをごちそうになった。楽しくてついつい長居してしまい、お店に帰った時には忙しく働いている夫に睨まれてしまった。

 こうしてこの祭は盛り上がったのだが、びっくりしたのはこの4カ月後に、キャズがハワイにあるショーンの家を訪ねて、釣りをしたり、島めぐりをして2週間過ごした、という手紙を受け取った時だった。確かにショーンは「いつでも、僕が居ないときにでも遊びに来てください」と言ってアドバイスをくれたが、日本の常識ではそれは社交辞令という事になっている。LAとハワイに住む二人の友情はその後もずっと続いているらしい。

 こういう事はアメリカでは珍しくない。学生時代に、あまり親しくない先生から急に「日本に旅行するけど貴女の家に泊まってもいいかしら」と言われてまごついた事があった。夫と行った旅行先でも隣りあわせたアメリカ人のおばさんに、イリノイ州の自宅に来なさいと言われて電話番号を渡されたことがある。いい人そうだな、と勘が働けば彼らはカジュアルに訪ねあうのだ。イリノイ州のおばさんは良さそうな人だったけど連絡していない。それよりも、現在70歳を過ぎたキャズが元気なうちに、一人では広すぎる彼の家を訪ねたいと思っている。「ぜひ来なさい」とは言われていないけれど。

 ところで第8回で紹介した日系二世のジャンさんには後日談がる。あれから12年後、米艦ロックウッドのオフィサー(将校)になって再び下田を訪れたのだ。しわ1つない真っ白な軍服、黒の肩章をつけて喫茶に現れたジャンさんは、堂々として立派だった。話はあまりしなくても、その姿を見ただけで彼の努力がしのばれたし、私の胸は嬉しさで満たされた。
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