■ 思い出の黒船祭(11) ■ |
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晩餐会と大使■ 1990年(平成2年) |
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東急ホテルで行われた市長主催の晩餐会はアマコスト大使と土屋議長がメインゲストだった。その他ポーランド大使夫妻と他の大使も列席していた。義彦さんは一刻も早くアマコスト大使と話したかったようだが、下田の同窓生や、自分が名付けたという自衛官『あやせ』の艦長、海軍司令官との挨拶が続き、ビールを持ちながら飲む暇がなかった。 アマコスト大使はそのあいだ雑踏を避け、芝生の向こうにある木の陰に逃げて、たまに後ろをチラッと偵察しながらウィスキーを飲んでいた。私にはその日米の差がおかしくてたまらなかった。やがてポーランド大使夫妻が義彦さんに挨拶に来て、予定されている首相のソ連訪問について質問した。義彦さんは興味ぶかい話をした。ここでのやりとりで私はパーティというのは政治家にとってオフレコの話が出来たり、聞けたりする場なのだという事を知った。 以前、国際交流の仕事で各国の駐日大使を招いたので多少のおつきあいがあるが、大使は社交がお上手なだけではなく、人格的に磨かれているというのが一番大事だと思う。どちらかというと大国ではない国の方が純朴で感じのいい人が多かった。 義彦さんが日本人と話している間、私は、ピアニストだったというアマコスト夫人とお話した。シャイな方で、パーティより、家でピアノを弾いている方が好きです、とおしゃっていた。ブッシュ大統領夫人メアリーさんのように堂々とした南部の肝っ玉母さんだと怖じ気づいてしまい、質問に気をつかわなければならなかったかもしれないが、幸い、夫人は小柄で可憐な感じ、そして内側から輝く美しさがあった。 |
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