■ 思い出の黒船祭(12) ■

ホスピタリティ
 今年(平成7年)で黒船祭は56回を迎える。第1回の黒船祭はグルー大使夫妻を迎え、盛大に行われた。父は当時尋常小学3年で、学校を訪問した夫妻に全校生徒そろって旗を振って歓迎したという。こうして世代を越えて下田の子供たちはゲストを迎えてきた。ちょうど風待港の下田っ子が昔から旅人を温かく受け入れてきたように。それは天領地だったこの土地の宿命なのかもしれない。それならば今、原点に帰って、私たちの体の中に眠っているホスピタリティをもう一度呼び覚ますことが必要ではないだろうか。それは観光地としての下田のありかたにもつながってくると思う。
昭和9年の第1回黒船祭に訪れたグルー大使夫妻(現在の山善川岸)
 
 よく、黒船祭はもうマンネリ化してつまらない、市民の祭ではないという声を聞く。しかし本来、この祭は、黒船来航によって日米外交が始まった事の”記念祭”なのだから市に変革を求めても動かない。つまらないと思うなら自分たちが変えていく、自分たちが積極的に参加し、楽しもうという決意が必要だと思う。この”自分が楽しむ”という意思が祭を変えていくのではないだろうか。

 嬉しい事に今、百人委員会なるものが出来て、いろいろな市民参加のイベントを考えているという。これからが楽しみ。どんどん若い人たちにアイディアを実行してもらいたい。なにより子供たちにとって一番よいことだと思う。”楽しみながら知る”というのが最高の教育だと思うからだ。

 そして、全国から「下田の黒船祭というものを一度見てみたい」というお客さんが増えることを期待したい。その時こそ温かい気持ち、親切な心で人を迎えたい。と思うのも、私自身、かつて見知らぬ国に旅した時に思いがけない親切を受けたからだ。どこに行っても人間の感情とホスピタリティは変わらない、と思う。

 黒船祭のお客さまは式典に出席する来賓だけではない。姉妹都市の皆さん、歴史的興味があって見に来る観光客、横須賀で「kurofune」の歴史の説明を受けてくる水兵たち、バスツアーで来る横須賀基地の人たち。皆さん、はるばる遠くから楽しみにして下田を訪れる。私たちはお迎えする立場なのだということを認識したい。

 これは市への要望だが、晩餐会には市のボランティア通訳をフルに使ってほしい。晩餐会では言葉が話せず、ポツンと孤立している外国人がかなりいる。15人以上登録しているボランティア通訳の人たちは喜んでお手伝いするだろう。議員さんたちも仲間同士で固まらないで、方々に散らばり、話しかけ、下田のPRに一役買ってほしいものだ。

 ところで、ここ数年、いろいろな事情で軍艦がこないことが多い。波が高すぎて上陸できないとか、急きょ中東方面へ派遣されるといった理由らしいが、少し疑問を感じる。台風や戦争時に対処できる軍艦が、下田沖で強風が吹いたからといって上陸を取りやめて横須賀に引き返してしまうものだろうか。軍艦見学を心待ちにしている子供も多い。そして直前の変更というのは、すでに準備を整えている飲食業者やイベントを行う市民にかなりの損失を与えている。市も大変な予算を組んでいるのだから、直前変更は許さない、ぐらいの強気で対応してほしい。なんといっても黒船祭の主役は昔も今もカモメの水兵さん、そして子供たちなのだから。

(おわり)


お礼
掲載中、下田市内をはじめ南伊豆の方々から多数お電話やお手紙を頂きました。

「なつかしく当時を思い出した」「祭りに長い間行ったことがなかったので興味深く読んだ」というものでした。紙面をお借りしてあつくお礼を申し上げます。
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