■ 思い出の黒船祭(6) ■

■ ベトナム戦争

1969年(昭和44年)
この年の『広報しもだ』の黒船祭のページは閑散としている。ただプログラムの紹介と、石井町長とオズボーン代理大使が下を向いてオープンカーに乗っている写真だけだ。私は高校三年生で受験生だったこともあってあまりこの年の記憶がない。ただ、町を歩いている水兵たちにもいつもの元気さ、陽気さがなかった。

 彼らとアルコールは切っても切れない仲、という事は小さい頃から分かっていたが、みんな陽気な酔っ払いだったのに、この年は、荒れて、町の青年と喧嘩したり、バーの勘定を踏み倒したり、盗みが報告されたりしたという。やはりベトナム戦争の影響だったのではないだろうか。四年前、北爆が開始された年に出会った水兵に同情して14歳の私たちはオイオイと泣いてしまったが、あれから戦争は急速に激変して全国で学生たちを中心に反戦運動が盛り上がっていた。
在日留学生の反戦デモ
 
 水兵たちも敏感にそれに反応しているようだった。フラフラに酔って自分の胸を叩きながら、オレは黒人なんだ!と叫んでいる自虐的な水兵。いつもなら若い女の子にウィンクしたり愛想がいい水兵も何か緊張した表情で町を歩いていた。この年にフレンドリーな記憶がないのも祭りが楽しくなかったせいだろう。

 日米友好の地、下田にもデモの波が押し寄せた。伊東の川奈ホテルで6月8日に開かれるアスパック会議に抗議したものだった。水兵たちは無視して通り過ぎるか、デモ隊もそういう水兵も不愉快だった。下田から出ていって欲しいと思うほどイヤだった。

通っていた高校でもアスパック反対デモに出かける同級生がいて、彼ら、全学連予備軍は部屋にたむろし、議論に明け暮れていた。戦争はもちろんいやだが、セクトだ、ノンセクトだと色の識別みたいに人間を評価する、浮き足だった連中の味方はごめんだった。他人や思想の事よりも大事なのは、自分とは何者なのかという素朴な疑問だった。中学の頃は水兵と話すことにあれほど熱中していたのに、この頃は全く感心がなかった。

 アメリカ兵がベトコンの少年の死体を持ち上げて得意になっている写真を見て、同じアジア人としての被害者意識が動き始めていた。だがベトナムについて彼らと話し合ってみたい気持ちと、あの写真がもたらした嫌悪感が同居して、結局、話しかける勇気もない私だった。

 家の二階は喫茶店だったがビールも出していたので水兵たちがチラホラ来ていた。普段はタンゴとかシャンソンとか品の良い音楽をかけていたのに、酔った水兵が身振り手振りで店のウエイトレスに頼んだらしく、「ロックンロールっていうのを買ってきますからお金を下さい」と彼女がおじいちゃんに言いに来た。純喫茶しか知らない二人のおねえさんたちは、酔っ払った水兵たちにほとほと困っていた。後で、高校生の私にグチをこぼしていいたけれど、私は無視して、少しでも多くの英語のイディオムを暗記しようとしていた。
■ PR ■
・下田の不動産、河津の不動産 南伊豆の不動産
・物件の写真と詳細な情報を掲載中
・パソコンのトラブル、サポート
・パソコン、インターネットの設定、出張サポート

・プロバイダ取次店(WEBしずおか、TOKAI、Yahoo!BB)
www.izurainbow.com
(有)伊豆レインボーコム
E-mail
info@izurainbow.com

ホームマップ索引リンク口コミFAQE-mail
※ このページの企画、作成、運営は、(有)伊豆レインボーコム
伊豆の不動産のことなら「伊豆レインボーコム」へ