■ 思い出の黒船祭(8) ■ |
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日系の水兵たち
■ 1976年(昭和51年) |
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ジャンさんはカリフォルニア出身、小柄で浅黒いが目がきれいでキラキラと輝いていた。口数は少ないが明るい人で、イヤな事や面倒臭い事を進んで引き受けた。控え目で気が利くと言われている日系人を絵に描いたような人。年齢は22歳ぐらいだったと思う。 仲間が酔ってグラスを割ると、かけらを拾い集めて謝りに来てそっと私にお札を渡したり、「もし、仲間がトラブルを起こしたらすぐに僕を呼んでください」ときれいな日本語で言ってくれた。肩のランクを見ると赤いアロー(矢のサイン)3つで、まだ下っ端なのにえらいなと感心した。水兵たちは悪気なくけっこう人種差別的なジョークを言い合うものだが、私が聞いていても気に障るものがあった。 ある白人が彼のことを、ヘイ、ガードナー(庭師)と事があるごとに呼ぶ。日系人に庭師が多かったせいだが私の方が頭にきてしまった。ジャンさんはニコニコしている。「怒らないんですか」と聞くと私にウィンクして「まだ12月8日よりはましだよ」と言った。真珠湾の日は一日中ばかにされるという。それはアメリカの日本人にはまったく知らされていなかった計画なのに、黙ってたえているジャンさんを想像したらなにか悲しくなった。 そこへいくとリック君の性格は正反対、もし1940年代に生きていてパールハーバーのニュースを聞いたなら日本に飛んで帰って神風特攻隊に志願したに違いない。まだ18歳、まるまると太って金太郎のような元気いっぱいのハワイ三世だった。大声でジョークを飛ばし、白人たちを蹴散らかしていた。 私の親類にもハワイアンがいるがみんなこういうタイプだ。陽気で屈託がない。クリームソーダを注文すると紙バッグからどこかで買ってきたすし折りを取り出してムシャムシャ食べ出した。「オレは日本人だからスシを食べる。おい、お前食べるか」などと白人に聞く。相手がへんな顔をすると「やっぱりお前たちはグルメじゃないな」と言って大いばりだった。もちろん彼が帰った後、みんな悪口を言っていた。私にとっては2つの日系人のタイプを知った面白い祭りだった。 |
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