■ 今村伝四郎正長 ■

 江戸時代の初めごろは、下田港には、まだ、防波堤がありませんでしたので、下田の人々は、大変困っていました。「下田年中行事」という昔の書きものには、次のように書かれています。

下田は、海に直接面していました。大風が吹くと、大波がおしよせては、西の方の岸をくだき、高潮がおしよせて、下田の民家を水びたしにしました。

そのため、諸国からきた船が、下田港に、停泊することができませんでした。漁民たちは、こまりはてて、ただ、より合って、心配するばかりでした。

二代目の奉行、今村伝四郎は、下田のこのありさまを心配して、1643年(寛永20年)、武ガ浜に、防波堤づくりの大工事を始めました。

[武ガ浜にある碑]

工事の費用には、自分の給料や財産もあてたそうです。3年後に完成した防波堤は、長さがおよそ540メートル、かぎの手およそ73メートル、高さおよそ3メートル、幅およそ3.6メートルでした。費用は、このころのお金で、983両もかかりました。

防波堤は、それから、いくどもつくり直されましたが、その費用は幕府が全部だしたそうです。

下田の人々は、今村伝四郎の功績をたたえて、武山の権現神社の境内に、碑を建てました。今、武ガ浜にある碑は、ずっとあとになってから建てかえたものです。

あれはてていた城山に植林して、今の城山公園のもとをつくったのも、今村伝四郎だといわれています。

今も了仙寺の境内には、今村伝四郎の墓があります。

■ PR ■
・下田の不動産、河津の不動産 南伊豆の不動産
・物件の写真と詳細な情報を掲載中
・パソコンのトラブル、サポート
・パソコン、インターネットの設定、出張サポート

・プロバイダ取次店(WEBしずおか、TOKAI、Yahoo!BB)
www.izurainbow.com
(有)伊豆レインボーコム
E-mail
info@izurainbow.com

ホームマップ索引リンク口コミFAQE-mail
※ このページの企画、作成、運営は、(有)伊豆レインボーコム
伊豆の不動産のことなら「伊豆レインボーコム」へ