■ 伊豆の国のはじまり ■

 都が、奈良(平城京)にあった時代を、奈良時代といいます。このころ、伊豆半島と伊豆七島を一緒にして、伊豆の国と呼んでいました。

 伊豆の国は、田方・那賀・賀茂の三郡に分かれていて、賀茂郡は、さらに、賀茂・月間・三島(伊豆七島)・川津・大社の五郷に分かれていました。白浜や浜崎・稲梓・稲生沢・下田あたりが、大社郷にあるようです。朝日は、竹麻とともに、月間郷にはいっていました。

 奈良時代で、もっとも栄えたのは、聖武天皇のころです。天皇は、仏の力によって、日本の国が、やすらかに治まることを願い、国ごとに、国分寺を建てさせました。伊豆の国では、今の三島市に建てられましたが、賀茂郡では、寺よりも、やしろが、各地に、たくさん建てられました。やしろといっても、この時代のものは、今のように、りっぱな家のあるお宮ではなく、小さなほこらや、石や岩などをつみあげたものを、神のよりしろ(神が天からおりてくるところ)として、祭っていたようです。

 下田では、今の白浜神社・天神社(相玉)・走湯神社(大賀茂)・浅間神社(本郷)などのものができたと、言われています。

賀茂郡に、やしろが多いのは、大むかしからの、神々を祭るならわしが、人々にひきつがれたからだと、いわれています。また、このころは、富士火山帯の活動で、噴火が多かったので、人々は、これを、神のたたりと考えて、やしろを建てて、お祈りしたのではないか、ともいわれています。

 このころ、華やかな文化が栄えていた都から、罪を犯した人々が、伊豆七島や南伊豆に、流されてきました。こうした人々によっても、遠い都の文化が、少しずつ、伊豆の国に伝わったようです。

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