■国立公園■

National Park
見直しませんか?

伊豆が世界に誇れる景勝地、

”国立公園”であることを。
 外国で長く過ごした人が日本へ帰ってきます。旅客機が本土へ近づいてきました。その人は旅客機の小さな窓に顔を寄せて懸命に外を眺めています。もうすぐ富士山が見えるはずだ、間もなく家族に逢えるのだと胸を弾ませているのです。すると、はるかな雲の上に富士山が頭をのぞかせているのが見えてきます。ああ、日本に帰ったのだとしみじみと感じる一瞬です。富士山は私たちの国土のシンボルなのです。

 しかし、富士山だけが国土のシンボルではありません。私たちの国は自然に恵まれているのです。さまざまなタイプの自然風景があちこちに展開しています。国土の67パーセントが山地であり、しかも、それはバラエティに富んでいます。隆起を続ける山地も火山も多いのです。第四紀以来活動した火山だけでも200余を数え、今もなお活動しているのは40に達しています。

 さらに、それらの山地の大半は森林に覆われています。それもまた、亜寒帯針葉樹林、冷温帯落葉広葉樹林、暖温帯の森林、亜熱帯の森林というように、さまざまなタイプの森林が途切れることがなく続いています。また、わが国は島国であるので海岸線は長く、しかも、それは出入りが多く、いたるところに好風景を現しています。かつてドイツの地理学者がこのような日本列島の自然美を讃えて、祭りの花飾りにたとえて花綵(かさい)列島と呼びましたがもっともな話です。だから、国土のシンボルは富士山に限ったことではなく、山岳に、海岸に、また、森林にというように、たくさん選び出すことができるのです。

 ところで、このようなわが国を代表する優れた自然風景は私たちの心身にさまざまな利益を与えてくれます。一例を挙げましょう。誰でも素晴らしい大自然に接したとき、きっと強いインスピレーションを感じるに違いありません。みなさんもそんな経験がおありでしょう。そのインスピレーションこそ、どんな教育よりも私たちに大きな精神的な利益を与えてくれます。また、その大自然は私たちにさまざまな科学的な知識を授けてくれます。自然は科学の情報源でもあるからです。ほかにもいろいろな利益があります。

 それゆえに、私たちは国土のシンボルとなるような大自然はしっかりと守っていかなかればなりません。そして、それを私たちの子孫に遺産として残さなければなりません。このような目的のために国立公園が生まれたのです。

 それでは、この国立公園はどこの国で、いつ初めて誕生したのでしょうか。それはアメリカ合衆国です。世界最初の国立公園はロッキー山脈の一角、イエローストーンで生まれたのです。1872年(明治5年)のことでした。それより、2年前、この原始地域に入った探検隊の一行がありました。モンタナのヘレナの人々です。それはワッシュボーン・ラングフォード探検隊と呼ばれていました。この人達が国立公園という制度を設けるきっかけを作ったのです。そして、イエローストンの驚異に満ちた大自然が、そっくりそのまま国立公園になったのです。

 それから間もなく、オーストラリアでも、カナダでも、またニュージーランドでも、国立公園が作られていきました。みんな19世紀のうちにです。いずれも新大陸の国であり、広大な原始地域があり、しかも国有地が多く、公園の設定が容易だったからでしょう。しかし、ヨーロッパやアジアの国々ではそうは参りません。20世紀に入ってから、ようやく国立公園が作られていったのです。そして、作られ始めると次から次へと拡がっていきました。

 現在、世界で国立公園をもつ国は119ケ国、国立公園の数は1335、合計面積は2億7600万ヘクタールにおよんでいます。これは、全陸地面積の1.85パーセントに当っております。もちろん、この数字のなかには、わが国の国立公園も含まれています。

 では、わが国の国立公園はいつ誕生したのでしょうか。国立公園を作ろうとする最初に動きは、明治44年(1911年)、第27回帝国会議に提案された「国設大公園設置ニ関スル建議案」です。それは富士山一帯を国立公園にしようというものです。当時はまだ、国立公園という名称がポピュラーではなかったので、国設大公園という言葉が使われたのでしょう。しかし、この建議案が実現するのはだいぶ後のことです。すなわち、政府の動きが始まったのは大正9年ごろからです。法律制度の準備やどこを公園にするかという調査などが進められ、「国立公園法」が制定されたのは昭和6年(1931年)、国立公園が実際指定されたのは9年のことでした。そして、このような動きのなかで、国へ協力するために、国立公園協会も昭和4年に設立されたのです。

 昭和9年と11年に分けて、日光、富士箱根、瀬戸内海など、12ヶ所の国立公園が指定されました。しかし、間もなくアジアの空には戦雲が拡がり、我が国は第二次世界大戦に突入していくのです。国立公園は戦争とは無縁のものです。平和な行政はストップしました。しかし、終戦となるとすぐ復古したのです。昭和21年、伊勢志摩がまず指定され、続いて23年、厚生省のなかに国立公園部ができ、行政は本格的な歩みを始めたのです。そして32年には国立公園法が自然公園法に代わり、ここに初めて3種類の自然公園、すなわち国立公園国定公園都道府県立自然公園が顔をそろえることになったのです。

 ここで、この3種類の自然公園の違いについて触れておきましょう。

国立公園は我が国を代表する自然の風景地であり、国が指定し管理するものです。

国定公園は国立公園に準ずる自然の風景地であり、国が指定し都道府県が管理するものです。

都道府県立自然公園は都道府県を代表する自然の風景地で、都道府県が指定し管理する公園です。

 その後環境問題がやかましくなり、昭和46年、環境庁が設置されました。そして、そのなかに自然保護局ができたのです。厚生省で行ってきた自然公園行政と、農林省の野獣保護行政とが合体して、新しく自然保護行政が進められることになったのです。

 現在の国立公園は28ヶ所、合計面積約205万ヘクタール、国定公園は55ヶ所、合計面積約133万ヘクタール、都道府県立自然公園は300ヶ所、合計面積約194万メクタールです。その3つの自然公園の総面積は約533万ヘクタールにもおよび、これは国土全体の14パーセントに達しています。わが国にはずいぶん自然公園があるのです。その理由の1つは、アメリカやカナダの公園とは違って、我が国の自然公園は比較的容易に指定することができるということだと思われます。

 それでは、我が国の国立公園がアメリカやカナダの公園と制度的にどう違うのか、そのことも説明しておきましょう。アメリカやカナダの国立公園は、国が公園の土地を全部所有して、公園の目的のためだけ、その土地を使用するというものです。いわば、それ専用公園なのです。しかし、日本の場合は違います。公園の中の土地は国有地、公有地、民有地と種々雑多です。しかも、国有地であってさえ、公園行政を担当する部局が所轄するものではありません。それゆえに、公園としての管理がなかなか難しいのです。我が国は国土が狭く人口が多く、古くから国土の隅々まで開発されてきた国です。アメリカのような専用公園を作ることなどできなかったわけです。

 では、我が国の国立公園はどのようにしてその貴重な自然や自然風景を守るのでしょうか。そのことも説明しておかなければなりません。国立公園が指定されると、その区域のなかは普通地域と呼ばれるものになります。そのなかで、とくに風致の維持をはかる必要があるところが特別地域に指定されるのです。さらに、その特別地域のなかでも一番大事なところ、すなわち、その公園の核心となるようなところが特別保護地区に指定されるのです。このように国立公園のなかは、普通地域、特別地域、特別保護地区の3種類に分かれているのです。そして、これらの地域地区のなかで、自然風景に影響をおよぼすような行為をする場合は、それぞれ取扱いが違うのです。

 普通地域では、一定の規模を越える工作物の設置や鉱物の採掘などを行う場合は、国に届け出をしなければなりません。特別地域の場合は、それらの行為は国の許可を受けなければならないことになります。そして、その行為が自然風景を著しく損なうようなときには、不許可になることもあります。また特別保護地区になると、さらに厳しい取扱いになります。たとえば、木竹の伐採は特別地域の要許可行為ですが、その植裁は許可が要らないのです。しかし、特別地区ではこの植裁も許可が要るのです。

以上のような仕組みで我が国の国立公園や国定公園は守られているのです。

 我が国の国立公園や国定公園における自然や自然風景を守る仕組みがどんなものか、お判りになったことでしょう。そして決してアメリカやカナダのような完璧なものではありません。しかし、その自然や自然風景の価値は、いささかも劣るものではありません。そのことは実際に国立公園、国定公園を訪れてみれば判ることです。
下田を含む伊豆半島も

”富士箱根伊豆国立公園”の一部です。
■ PR ■
・下田の不動産、河津の不動産 南伊豆の不動産
・物件の写真と詳細な情報を掲載中
・パソコンのトラブル、サポート
・パソコン、インターネットの設定、出張サポート

・プロバイダ取次店(WEBしずおか、TOKAI、Yahoo!BB)
www.izurainbow.com
(有)伊豆レインボーコム
E-mail
info@izurainbow.com

ホームマップ索引リンク口コミFAQE-mail
※ このページの企画、作成、運営は、(有)伊豆レインボーコム
伊豆の不動産のことなら「伊豆レインボーコム」へ