■ペリー上陸記念碑■

■ Monument to Perry's Landing ■

 嘉永七年(安政元年-1854年)再来したペリーと幕府の間でもたれた日米和親条約の交渉過程で、開港地として下田港が提示されると、ペリーは調査船を派遣した。下田港が外洋と接近していて安全に容易に近づけること、船の出入りに便利なことなど要求している目的を完全に満たしている点にペリーは満足した。条約締結により即時開港となった下田に、ペリー艦隊が次々と入港した。そして、ペリー艦隊の乗組員が上陸したのが、下田公園下の鼻黒の地であった。ここを上陸記念の地として、ペリー上陸の碑が建てられた。

 この記念碑のペリー像は、故村田徳次郎氏の作品であり、記念碑の前の錨は、アメリカ海軍から寄贈されたものである。
 ペリー艦隊の旗艦ポーハタン号は、長さ75メートル、トン数2415トン、3本マスト、両舷に1つづつの外輪があり、航海には蒸気と風力の双方を用いる木造の軍艦でした。大砲9門を積み、乗組員300名、黒い船体に赤い横すじが入っていたため、「赤すじポーハタン」と呼ばれました。ペリー艦隊は、アメリカ東海岸のノーフォーク港を出航。喜望峰を回り、7カ月で日本に来ています。
 下田は箱館(函館)とともに、日本最初の開港場となったところ。1854年日米和親条約によってペリー艦隊7隻が入港、黒船来航である。下田は江戸時代1616年、海の関門(御番所)をはじめ、開港にまつわる史跡も数多く、街のたたずまいには石造りの土台や、なまこ壁の建物、入り組んだ路地など海とともに生まれてきた港町としての風情がのこされています。毎年5月16日〜18日には国際色豊かな黒船祭、真冬に爪木崎水仙、6月には下田公園あじさいなど四季折々の花々と豊富な温泉、歴史と自然にはぐくまれたやすらぎのある国際観光都市として皆様に大変親しまれております。

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