■吉田松陰像■

■吉田松陰(1830〜1859)


 
吉田松陰は、長州藩萩(山口県萩市)の生まれで、少年時代は兵学の勉強に才能をしめしました。21才のとき、長崎などをめぐり、翌年江戸に出て、佐久間象山に洋学を学びました。藩の枠を越えて、日本全体の立場でものごとを考え、世界の情勢を見極めるために、海外密航を決意し、下田市蓮台寺の蘭方医”村山行馬郎”の邸に寄寓し、柿崎弁天島より、ペリーの旗艦ポーハタン号に乗り付けた。しかし、海外渡航は国禁であり、拒絶され松陰等は自首して捕らえられ、”平滑(ひらなめ)の獄”に拘禁されました。
その後、江戸に護送されるが、やがて郷里の萩に幽閉となり、おじのおこした松下村塾を引きつぎ日本の危機を弟子たちにときました。
 門人の高杉晋作、久坂玄端、伊東博文ら感受性ゆたかな青年たちは、松陰の国を思う心にうたれて、松陰が”安政の大獄”(安政6年10月27日)で処刑された後は、その思想をうけつぎ、幕末、維新の動乱期に活躍したのです。

今では吉田松陰が拘禁された場所に、石碑が残されています。
蓮台寺に蘭方医”村山行馬郎の邸”が残されています。


吉田松陰像の横には、珍しい偽層が見られます。 看板には、以下のような説明がされています。

■ 偽層 ■
昭和54年11月19日 指定

 偽層は地層が水流で斜めに切られ、その上に新しい層が堆積し、これがまた切られ、その上にまた堆積が行われるの繰り返しによりできた地層である。水流(波・潮流)の作用が可能な浅海性の堆積を意味し、斜めに交わる層理を特徴とする。この白色凝灰質含貝化石砂岩層は、1500万年前頃の堆積で、南伊豆を広くおおう白浜層群の原田層と呼ばれ、偽層を含むことで特徴づけられている。この奇壁は偽層を含む原田層の海食崖で、土地の隆起または海退と波の浸食を示している。

静岡県教育委員会
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